高校受験と大学受験の違いを経験から語ってみる

小中学校で受けた教育は…

我が子は公立中学校から私立の高校へ進学しました。我が子が伸びる学校に入れたいと思い、これでもか!というくらい見学に行きました。

その理由は、小学校、中学校と公立の学校に通いましたが、どうしても、どう頑張っても、期待できる教育ではなかったからです。

先生も学校も選べない。

小学校6年生時に中学の説明に来てくれたとても感じの良い先生は我が子が入学と同時に異動。

公立は、必ず先生が異動します。教育格差が出ないように決められた年月しか同じ学校にいられません。

教育格差はないかもしれませんが、市町村の教育施策によって満足度は変わってしまいます。

ですから「あたりはずれ」という言葉がまかり通るのも納得できます。

 

我が家は義務教育9年間を通して「はずれ」と思われる出来事にたびたび遭遇しました。もちろん、「あたり」の出来事もありましたが、「はずれ」の精神的ショック、解決できないもどかしさに、親子ともども、これ以上、公立で我慢するのは嫌だという気持ちになってしまいました。

公立に対する印象がとても悪くなってしまった我が家ですが、もちろん、満足できる教育をしている、受けている方もたくさんいらっしゃいます。それこそ「はずれ」てしまった、運が悪かった、と判断するしかないと思いました。

 

高校は自分で選べる

我が家の経験を書いていくので、公立の例は除きます。

私立を選んだわけは、校風が一定していること、先生の入れ替えがさほどないこと、この二点に注目しました。

内申点と北辰テスト(埼玉県独自の民間テスト)の結果を持って、合同説明会5回、学校訪問のべ22校という「やりすぎ」な学校見学をしていました。

 

結果、高校3年間、ほぼ満足のいく教育を受けさせることができた、と自負しています。

「ほぼ」というのは、入学してみないと分からないことが必ずあります。説明会ではいいことを言っても実際には違うこと、もしくは年度が替わる時に方針が変わってしまう、など100パーセント望み通り、ということはないでしょう。

ひとクラス約30人、1学年約120人という小規模の学校であったことが一番の良さでした。学校の先生全員が我が子を知っていて、「だれに教わってもいい」という言葉が本当におこなわれていました。

今では常識となった「SDGS」という言葉を2016年頃すでに使っていました。PTAの組織がないことに驚き、学校独自の方針とはこういうことか、と驚くことが多くありました。

 

大学は結局「縁(えん)」なのか?

中学3年生時に、多くの高校の話を聞いていましたが、そこで必ず話されるのが、「高校を卒業したらどうするのか」という未来の話でした。

どの高校も、です。

それは、有名大学へ何人入学できるほど成績が上がるよ、ということだけでなく、25才の自分を描いていく、とか、こういう大学に行くとこんな就職をするよ、など、中学生活では考えたこともなかった自分の未来を否が応でも考えざるを得ない経験でした。

ですから、高校へ入学して、大学のオープンキャンパスに参加、というのはごく自然にやっていました。

その中で、どうしても行きたい大学がありました。

「この教授に教わりたい」ということも決まっていて、推薦試験を受けるも撃沈。

一般試験も数回おこなわれていたので、何回か受けるもこれまた撃沈。

しかし、すべてあきらめたところで、思わぬ学校から合格通知が。

 

高校受験の時は「この学校へ行きたい」という希望をかなえられましたが、大学は「行きたい」願いはことごとく打ち砕かれました。

 

「縁」ってこういうのかもね、と親子で話しました。

こうして、ご縁があった大学に4年間通いましたが、親としては、「行きたかった」大学よりとても良い経験ができた大学だったと思います。

こちらは、大学なのにPTAがあったという面白い学風で、教授との懇親会が年1回ありました。大学なのに、教授とお話ができて、我が子の相談までできるという私の時代では考えられない面倒見の良い仕組みでした。

 

育てたい学生をとりたい大学

朝日新聞 EduA2022年5月号「特集 大学入試の地殻変動」には、大学側の思惑が垣間見える言葉がありました。

入試の方法が多岐にわたるようになってきて、大学側がどんな考えでいるのか、の特集でした。

私が気になった言葉はこのふたつ。

 

◆自大学の教育に望ましい学生をとれているのか

◆自分たちが本当に育てたい学生をとれているのか

朝日新聞 EduA2022年5月号2022/5/8発行 「特集 大学入試の地殻変動」より

 

こんな風に大学側は見ているのですね。

我が子が熱望した大学は何度受けても「自大学の教育に望ましくない」「本当に育てたい学生ではない」と判断された。

教授訪問までして、小論文の練習のために大学でどんな研究をしているかも相当調べていたので、ある意味、まだこれ以上勉強することはあるのか?と頭をよぎったことも正直、あります。

良い意味で取れば、育っているからもう育てることはない、と大学が判断した。

あまりにもお気楽な言い訳のようですが、あながち間違っていない気がします。

 

別の見方をすれば、「私はあなたの大学で学ぶにふさわしい人間よ!」というアピールをしないと分かってもらえない。

まあ、我が家はそれをしたにも関わらず落ちてしまったので説得力はないですが、もしかしたら、違う大学では「ふさわしい」と判断されたかもしれません。

 

そして、大学は「合格」するところではなく「勉強」するところです。

 

私が大学生だった30年以上前は、大学は遊ぶところ、というイメージでまともに勉強しないことが多くありましたが、今の大学は、しっかり勉強して社会に役立つ人材を育てるように大学も学生も努力している、と感じました。

4年間、しっかり勉強していくには熱意、意欲がなければ続きません。

手前味噌ではありますが、実際、我が子はよく勉強していました。私より明らかに勉強し、成長した4年間だったと思います。

 

 

 

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