なぜ子ども達は岩下作文教室で書いたように学校で書かないのか?

子どもの本音を言葉に変換!

感じて考えて書ける子に

岩下作文教室 岩下春江です。

 

毎日、新しいランドセルや新しい制服に身を包んだ子を見かけます。

頑張っているんだろうな~と微笑ましくも

自分は、新しい世界に入るのが嫌だったので

少しほろ苦さも感じます。

先週、娘の担任の先生が決まったと報告がありました。

それまで2年間担任だった先生から

替わってしまいました。

わたしは、知っている先生だったから「ラッキー!」

でも娘は「超ヤダ――」

親と子の感覚は違うものです。

 

特に、子ども達は担任の先生が

どんなことを許してくれて

どんなことを考えていて

どんなことが嫌いなのか

すでに、感じ取っています。

 

1週間じゃわからないでしょ?

 

と思いますか?

 

人の前に立つ人間というのは、その場に現れた瞬間にどんな人間か

だいたい聴衆に感じ取られてしまうものです。

「だから気をつけなさい」と教員時代教えを受けました。

 

 

 

どこまで許してくれる先生なのか、子ども達は分かっているので

岩下作文教室で書いたような作文を学校で「書ける」かどうかは

子どもが決めます。

 

岩下作文教室で書く作文は、のびのびしていて、面白くて、自分らしさが表れています。

そういう方向を目指しているので、ママ達も「生き生きしている」と言ってくれます。

でも、それを学校で書くと

「字が汚い」とか「その言い方では分かりません」とか

担任の先生が指摘するであろう要素がたくさんあるのです。

 

自分を表現することに関しては、否定されたら一生嫌いになります。

音楽もそうですし、作文もそう。

研究熱心な美術の先生も言っていました。

「絵が下手だと言われれば、一生絵は描かないよ」

 

だから子ども達は、否定される場所では書かないと

本能的に判断しているのではないでしょうか?

 

岩下作文教室で書いたのと同じように学校で書くにはどうしたらいいのかと聞かれたら

子どもが決めればいい、と答えます。

 

ただ、私ができることは、子ども達がのびのびと自由に作文が書ける場所を提供することです。

私の前では、どんな言葉を使ってもいい。

そんな風に思われる先生でありたいです。